yosak's diary

忘備録と備忘録

1月日記(9〜10日)

1/9
新宿西口そばの「極哩」で2種盛りカレーを食べる。
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甘、苦、のあとに辛、がくる感じ(日替わりらしいのでこの日の印象)
インパクトのある見た目とは裏腹にサラッと食べられる。個人的にはもっと尖った味の方が好みだが、新宿駅のすぐそばでこのクオリティのカレーが食べられるのはありがたい。たぶんまた行く。

シネマート新宿で『ヒッチャー ニューマスター版』を観る。
ドガー・ハウアーの「人ならざる何か」感が凄い。
これ多分、他の演者だったり、ジェイソンのようなマスクのホラーキャラだとギャグのように映る気がする。ルドガー・ハウアーだから成立しているキャラクターだと思う。「悪魔」「不運」「理不尽」のような存在。
有名な「指ポテト」のくだり。確か昔のテレビ番組『今夜は最高』でタモリがパロディコントしていたことを思い出した。

1/10
TOHOシネマズ日比谷で『ミセス・ノイズィ』鑑賞。
2002〜2005年にあった、所謂「騒音おばさん」の名称で知られる事件とその騒動をモチーフにした作品。
隣人トラブルコメディかと思いきや、ボタンのかけ違い、思い込みから生じる些細な諍いが、あらゆる思惑からどんどんと大きくなり、、、不確かな「正しさ」ということを考えさせられるよく出来た作品だった。
明るく気さくなのだが少し直情的な妻と、過去の出来事により心を病んだ優しい夫。一見怪しい隣人夫婦の描写が良い。「私たちは正しく生きてるよね?」と語る不器用な夫婦の姿、立場や状況を顧みずカメラの前で吠えるおばさんの姿に思わず感動してウルっとしてしまった。
SNSの普及により、事件の頃以上に、善と悪、白と黒をつけたがる風潮が強い現在の方がネット暴力、メディアリンチなどの問題が浮き彫りになり、よりしっくりきた(細かいところだが、チラッと出てくるネット書き込みの表現が近年の日本映画の中でも秀逸にリアルだと思った)
物語の主軸と関係ない部分で挿入される、胡瓜のくだりが「正しい」ことの難しさを上手く表現していたと思う。おばさんのした事は善意の行動だが、断るお店の事情はわかるし、そもそもの処分する農家の理屈もわかる。
終盤、主人公が「自分のことしか見えてなかった」と夫に謝るんだけど、見る限りでは夫も、仕事と子育てに苦心する妻をフォローできてないような描き方だったので、そこを言及してないのは少し残念。妻の成長だけでなく夫婦の成長として描くべきでは?

続けてTOHOシネマズシャンテで『燃ゆる女の肖像』を鑑賞。
画家とモデルの物語だけあって、劇中のショット、構図がとても美しい。洗練された美しさ。
序盤のシーン「初めて散歩に行く二人、足早に前を歩く女性の頭巾がずれて美しい金髪が露わになる」このくだりのドキッとするような美しさ。
予告でも印象的な炎の纏うドレス、終始みられるドレスの赤と青の対比、暖炉の前で浮かび上がる肢体、草原に立つ三人の女性、枯れた花と刺繍、ハッとさせられるシーンばかり。さりげない食事のシーンの構図ですら美しい。鑑賞中、美しいシーンの連続に何度も息を飲んだ。ここまで美しいばっかり言ってる。
そして、言葉では説明せず、美しい構図、二人の目線、僅かな表情の変化で物語を紡ぐ演出は素晴らしい。極端な話、私が映画表現に求めていることはこういうことかもしれない。
物語の核となるシークエンスに登場するのは最小限の女性だけで描かれる。そして、その儚い蜜月の時、定められた運命の中「生/性」を感じられた瞬間、に終わりを告げるように登場する男性の見るからにガサツな佇まいに思わず笑ってしまった。
ラスト、別れた後の二度の出会い。あの嬉し切な痛いみたいな感じ。圧巻のラストショットの感情たるや。思い出してもゾワゾワする。